カバー動画を、なぜ一枚絵にしているのか。音と歌詞に耳を傾けるための映像設計
二音一幕のカバー動画では、基本的に一枚のイラストを背景に、歌詞を表示する構成を採用しています。
キャラクターが大きく動くこともなければ、曲に合わせて次々と場面が切り替わることもありません。
現在では、イラストを動かしたMV、3Dを使った映像、歌詞そのものを映像表現として見せる作品など、音楽動画にもさまざまな形があります。
音楽に合わせて映像まで作り込み、一つの作品として成立させている動画を見ると、その表現力はもちろん、音と映像の両方を仕上げる制作量にも驚かされます。
その一方で、二音一幕では少し違った方向を選びました。
一枚の情景と歌詞、そして歌声とピアノ。
画面に置くものをこのくらいに絞ることで、声とピアノを聴きながら、歌詞をゆっくり追ってもらえる作品にしたいと考えています。
この記事では、音そのものの設定から少し離れて、二音一幕がなぜカバー動画を一枚絵にしているのか。
「音をどう作るか」ではなく、「作った音をどう聴いてもらうか」という視点から書いてみます。
映像を動かさないこと自体が目的ではない
最初に書いておきたいのは、映像を動かさないことそのものに価値を置いているわけではない、ということです。
動く映像だからこそ表現できるものがあります。
歌詞に合わせて情景が変化したり、キャラクターの表情や動きによって感情が伝わったり、音楽と映像が同期することで一つの物語が完成したり。
一枚絵とは異なる方法で、曲の世界を広げることができます。
二音一幕が一枚絵を選んでいるのは、それらと優劣を比べた結果ではありません。
二音一幕で特に聴いてほしいものを考えたとき、画面が大きく動かない構成が作品に合っていたからです。
主役にしたいのは、歌声とピアノ
二音一幕は、
「声とピアノで、ひとつの物語を。」
を軸に制作しています。
音の構成も基本的にはシンプルです。
Synthesizer Vによる歌声と、ピアノ。
歌声では、ボーカルスタイルだけでなく、必要に応じて音素の長さや位置、語尾、ブレスなどを調整します。
ピアノでは、楽譜に記されたp、mp、mf、fなどの強弱をMIDI上で表現できるようVelocityに差をつけ、音域によって響き方が気になれば必要な部分だけ調整します。
さらにEQ、定位、リバーブなどを使いながら、声とピアノが自然に同じ空間で鳴っているように整えていきます。
こうした調整の中には、注意して聴かなければ気付かないほど小さなものもあります。
それでも、一つひとつの小さな違いを積み重ねることで、最終的な歌い方や演奏の印象は変わってきます。
だからこそ完成した動画では、映像から次々と新しい情報を提示するよりも、まず歌声とピアノを聴いてもらえる状態を作りたいと考えました。
映像を豊かにする代わりに音を簡素にするのでもなく、映像を否定して音だけを残すのでもありません。
二音一幕では、音を作品の中心に置き、その周囲を一枚の情景と歌詞で支える形を選んでいます。
歌詞は「読むための情報」として残したい
画面を完全な静止画だけにせず、歌詞を表示していることにも理由があります。
歌を聴いていると、声として聞こえてきた言葉と、文字として読んだ言葉では、少し違った受け取り方をすることがあります。
何気なく聴いていた一節を文字で見て、初めて意味を意識することもあります。
反対に、文字を追いながら歌声を聴くことで、言葉の区切り方や伸ばし方、息の入り方が印象に残ることもあります。
二音一幕では、歌詞を映像演出の材料として大きく動かすのではなく、曲を聴きながら言葉を追うためのものとして扱っています。
感覚としては、CDを聴きながら歌詞カードを開いていたときの体験に少し近いかもしれません。
耳では歌声とピアノを聴く。
目では歌詞を追う。
そして、その後ろには一枚の情景がある。
視覚情報をなくすのではなく、歌詞と一つの情景に絞ることで、音楽と一緒に言葉を受け取れる形を目指しています。
一枚絵は、曲が行われる「小さな舞台」
一枚絵も、単に画面を埋めるための背景として置いているわけではありません。
二音一幕では作品ごとに、歌い手、ピアノ、部屋、窓の外、時間帯、光などを考えながら一枚の情景を作っています。
夕暮れの部屋だったり、夏の景色だったり、静かな夜だったり。
曲によって舞台は変わります。
ただし、その一枚だけで曲の物語をすべて説明しようとはしていません。
歌詞を聴いて何を思い浮かべるかは、聴く人によって違います。
映像で答えを細かく提示するのではなく、曲全体を包む一つの情景を置いて、そこから先には少し余白を残す。
二音一幕という名前に合わせるなら、一曲のあいだだけ現れる、小さな舞台に近いものかもしれません。
歌声とピアノが鳴っている間、その場所で一緒に曲を聴いてもらう。
そのための一枚絵です。
動かないからこそ、一枚の役割は小さくない
一枚絵という形式は、映像が動かないぶん、映像制作として簡素に見えるかもしれません。
実際、何分ものアニメーションや3D映像を制作する場合と比べれば、必要となる作業の種類も違います。
ただ、二音一幕では一枚の画像を動画のほぼ全編で使います。
途中で別の場面へ切り替えて印象を変えることができないため、最初に選んだ一枚が、その曲を聴いている間ずっと作品の情景になります。
そのため、
「この曲はどんな場所で歌っているように感じるか」
「どんな時間帯が似合うか」
「歌い手はどんな表情をしているか」
といったことを考えながら構成しています。
動かないから重要ではないのではなく、動かさないのであれば、その一枚に何を置くかを考える。
これも二音一幕にとっては作品作りの一部です。
情報をなくすのではなく、届けたいものを絞る
一枚絵を採用している理由を「情報量を減らすため」とだけ説明すると、少し違うように感じます。
確かに、場面転換や大きな動きを入れないことで、画面から入ってくる情報は比較的穏やかになります。
ただ、二音一幕が目指しているのは、できるだけ情報をなくすことではありません。
何を受け取ってほしいかを考えて、そこへ絞ること。
歌声。
ピアノ。
歌詞。
そして、その曲を包む一枚の情景。
この四つがあれば、二音一幕として伝えたいものを形にできると考えています。
だから映像を動かさないのも、映像表現を軽視しているからではありません。
むしろ「何を見せるか」を考えた結果として、画面を静かにしています。
「どう聴いてもらうか」も、音作りの一部
普段「音作り」というと、EQやコンプレッサー、リバーブなど、音そのものを加工する作業を思い浮かべることが多いと思います。
二音一幕でも、EQやリバーブ、Velocity、音素などについて細かく調整しています。
ただ、作品が完成して聴き手へ届くところまで考えると、音作りはそれだけではないように感じています。
どんな音量で仕上げるのか。
声とピアノをどのような距離に置くのか。
そして、その音が鳴っているとき、画面に何を置くのか。
そこまで含めて、最終的な聴こえ方は変わってくるのではないでしょうか。
一枚絵だからできることがあり、動く映像だからできることもあります。
どちらが優れているという話ではありません。
二音一幕が選んだのは、声とピアノを聴きながら歌詞を追い、一枚の情景の中で一曲を過ごしてもらう形でした。
音をどう作るかだけではなく、その音をどう聴いてもらうか。
二音一幕では、一枚絵という映像の選択も、そんな音作りの延長にあります。